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八丈 (海防艦) : ミニ英和和英辞書
八丈 (海防艦)[はちじょう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やつ]
 (num) eight
: [だけ, じょう]
  1. (prt) (uk) only 2. just 3. as
海防 : [かいぼう]
 【名詞】 1. coastal defense 2. coastal defence
: [かん]
  1. (n,n-suf) warship 

八丈 (海防艦) : ウィキペディア日本語版
八丈 (海防艦)[はちじょう]

八丈(はちじょう/はちぢやう)は、日本海軍の海防艦占守型海防艦の3番艦。
==艦歴==
マル3計画の1,200トン型海防艦〔予算要求時の排水量。実際には900トン型として設計され、300トン分の予算×同型4隻分は大和型戦艦に流用したとされる。〕、仮称艦名第11号艦として計画。1939年8月3日、佐世保海軍工廠で起工。1940年2月23日、海防艦八丈と命名。4月10日、進水。1941年3月31日、竣工。本籍を舞鶴鎮守府に定められ、第二遣支艦隊に編入。南支、仏印方面で行動。6月11日、第二遣支艦隊司令長官の将旗を一時足柄から移揚、将旗は同日中に足柄に復帰。10月1日、大湊要港部部隊に編入〔大湊要港部は1941年11月20日、大湊警備府に改組。〕、軍隊区分津軽防備部隊に配される。
太平洋戦争の開戦時は室蘭に所在。12月8日、室蘭に在泊中のイギリス船スイダロック号、デンマーク船グスターデヒトリック号を沖風と共同で拿捕した。14日、悪天候により択捉島単冠湾で座礁した特設砲艦第二号新興丸を救助するため、国後、特設砲艦瑞興丸とともに派遣された〔その日のうちに瑞興丸も松輪島大和湾で座礁したため、こちらには石垣が派遣される。〕。本艦は1942年1月10日まで単冠湾に留まり第二号新興丸の救援に従事したのち大湊に回航した。大湊に到着後、機関整備と訓令による爆雷の増備工事を行う。
1942年1月15日、軍隊区分千島防備部隊に編入。16日、大湊を発し幌筵へ回航。到着後乙前湾で哨戒にあたる。以後、大湊での整備と修理を挟みつつ千島列島で行動。5月13日、千島防備部隊から除かれ津軽防備部隊に編入。以後、室蘭-渡島半島東岸-三陸海岸を哨戒。7月1日、艦艇類別等級の改正により軍艦から除かれ艦艇の海防艦となり、役務を舞鶴鎮守府警備海防艦に定められる。8月30日、津軽防備部隊から除かれ千島防備部隊に編入。11月25日、千島防備部隊は新編された千島方面特別根拠地隊指揮下となる。12月16日から18日まで、一時的に津軽防備部隊指揮下となり、第二十七掃海隊に協力して釧路沖で対潜掃討。
1943年2月14日、アッツ島行き第16船団(あかがね丸)を護衛し片岡湾発、途中まで同行して分離し、22日に片岡湾着。あかがね丸は20日、アッツ島沖でアメリカ巡洋艦インディアナポリスらの砲撃により撃沈された。3月6日から13日まで軍隊区分北方部隊に編入され、アッツ島への輸送作戦に従事。23日から28日まで第五艦隊作戦指揮下に編入され行動。8月5日、北東方面艦隊千島方面根拠地隊に編入され、軍隊区分千島防備部隊に配される。
1944年1月4日から2月17日まで大湊で入渠整備。出渠後は主として千島列島行き船団の護衛に従事。9月8日、の地点で波風が被雷したため、本艦のほか野風神風が救援に向かう。3艦で波風を護衛し、13日小樽着。11月23日から1945年1月8日まで、大湊で入渠整備。
1945年4月10日、大湊警備府第百四戦隊に編入。隊内区分警戒部隊に配され、八丈海防艦長が指揮を執る。13日から25日まで、第百四戦隊司令官の将旗を福江から移揚。5月11日、幌筵海峡で警泊中に空襲を受け、至近弾により中破。片岡湾岸壁で応急修理ののち25日、ヘ船団に同行し大湊へ回航。6月3日から29日まで大湊で修理し舞鶴へ回航。7月2日、舞鶴に入港し入渠修理。終戦時は舞鶴で修理中。11月30日、海軍省の廃止に伴い除籍された。
キールが湾曲〔昭和22年2月1日付 復員庁第二復員局総務部 二復総第49号別冊 「行動不能艦艇所在並ニ各地方復員局保管分擔表」。〕していたため戦後は修理されることもなく、粟国久賀第200号海防艦と繋がれ舞鶴港内に繋留されていたが、1947年10月から1948年4月にかけて飯野産業舞鶴造船所により解体された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「八丈 (海防艦)」の詳細全文を読む




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